チェルノブイリ——脇道の旅2

プリピャチの日の出というのもいいかもしれない。プリピャチにはいろいろな季節に昼夜を問わず何度も来ているが、夜明けの町を見るのもいい。4時前に起きて5時には16階建てのビルの屋上に立つ。町の中心と発電所がよく見渡せる。

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プリピャチにだんだんと日がさしはじめ、町は眠りから覚めてくる。まるで仕事に急ぐ人々がもうすぐ現れるような感じだ。 子供を幼稚園に連れていく母親がいる。すぐに車の騒音や子供達の遊び声で騒がしくなる。しかしこれは私の想像でしかない。捨てられた町で生命を持つのは自然のみだ。他のものは全て28年前に死に絶えた。

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遊園地のそばのタワーから見た日の出

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『フジヤマ』[訳者注:ビルのニックネーム]の屋上から見た夜明けのプリピャチ

しかしプリピャチが目的でゾーンに戻ったのではない。ここしばらくここに来る回数は減り、滞在は短くなっている。理由は一つだ。プリピャチは崩壊しつつある。建物の外壁は剥がれ、コンクリートやレンガはボロボロになり、床は腐り崩れ落ちる。しまいに壁も天井も落ちる。中に残された本や新聞、ポスターなどは濡れて塊になる。町は消えつつある。

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初めての、しかもここにしか訪れない旅行者はこの変化に気がつかない。荒廃の速度に。無くなっていく様々なものがあることに。彼らにはここでは時間が止まっているように見えるのだ。それは幻想でしかない。

失われた村々

過去の軌跡を求めて私はどんどんプリピャチから離れていく。ゾーンのまだ行ったことのないところに足を踏み入れる。これまでの経験からすると遠くへ行くほど貴重なものに出会えるチャンスが多くなるのだ。

それでゾーンの北端にある辺鄙な場所に行くことにした。ベラルーシとの境界に近い村々だ。40キロを2時間かけて走る。普通の旅行者はこんなところには来ない。アスファルトの穴だらけの道はすぐに 草ぼうぼうの細い未舗装道路に変わる。やがて道がなくなる。ここからはオフロード車でしか進めない。木が生え、緑が深く、人間の存在は全く感じられない。動物に出会うことが多くなる。人の住まない湿地は鹿、ムース、野生のイノシシや数多くの鳥たちにとって理想の場所だ。

何か興味深い場所は、面白いものはないか、昔の体制の痕跡はないか。そういうものを見つけられるのは捨てられた学校や幼稚園、集会所であることが多い。旅行者に見つからないところ。以前の住民しか知らないところ。未だ以前住んでいたところを訪問する人がいるのだ。そして無人の家のカレンダーを掛け替えたり学校の机にメッセージを書き残す者もある。

大きい村には必ず学校があるが、植物に覆われていて見つけ出すのにはコツがいる。これには経験がものをいう。学校はたいていレーニン通り—どの村でもこれがメインストリートだ—にある。そしてたいてい木造ではなくレンガ造りなのも特徴だ。しかしツキが一番大事だ。これだけの年数を経てまだ建っていること。屋根がまだ壊れていないこと。ガラスが壊れていないこと。これらの条件を満たしていれば前世紀の逸品に出会える。

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北端の街デニソヴィッチ[Denisovitchi (Денисовичи)]に行くのには数時間かかる。グーグルマップやグーグルアースなどより正確で詳細なGPSシステムを使っても正確な道を見つけるのには苦労する。衛星写真に森の中の細い道が写っていても、そこまでたどり着くと未舗装道路は木々の壁で遮られていたりする。さほど大きくない木ならどけることができるが、重なり合った木の山を動かすのは無理だ。10キロ以上後戻りをして別の方向から近づくしかない。こうしてなんとかたどり着いた。

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デニソヴィッチの入り口にある標識

国境を越える

国境の町からPolesky Radiation and Ecology Reserveは目と鼻の先だ。ここはベラルーシにおけるチェルノブイリのようなところで立ち入り禁止ゾーンだ。どちらも面積は同じぐらいで、閉ざされており、汚染されているが、ベラルーシの方がその度合いは強い。最初の時はゾーンの管理者に、その後は政府の担当機関に、もう何年も立ち入り許可を求めているが許可は下りない。では忍び込むか?

しかし、ことはそう単純ではない。ベラルーシとウクライナにかかるプリピャチ盆地の地域はヨーロッパでも最も手付かずで知られていない部分だ。数々の支流がツンドラを思い起こさせる沼地、湿地や湿原を作り出し、カバ、ヤナギ、マツなどが生えている 。ウクライナのマシェバ
[Masheva(Машево)]からベラルーシのチェムコフ[Chemkov(Чемков)]までの最後の2キロを行くのに1時間かかる。手つかずの自然とヘラジカ、鹿、無数の鳥などの動物との出会いが困難な道のりを癒してくれる。ヘラジカの角を見つけた。ベラルーシのポスドボ[Posudovo(Посудово)]に入るのは至って簡単だが、緊張することは同じだ。鉄道線路に沿って歩けば困難な道も進んでいける。しかしベラルーシの国境警備員が木々の向こうから現れて肝をつぶした。幸運なことに慌てて地面に伏せ、背の高い草の間に隠れて事なきを得た。

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国境を越える

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マシェバの近くで国境を越える 撮影: Bartek Baczmański

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ヘラジカの角 撮影: Bartek Baczmański

ベラルーシの村は驚くほど小さく、家は少ない。事故後間もなく解体され埋められた家があるのだろう。住民が戻ってこないようにこういう事が行われたのだ。

残っている家はウクライナのものと違わない。少しカラフルかもしれないが、空っぽなところは同じだ。無人の時間が長いのだから、村はさほど荒らされたり物を盗られたりしていないことを期待していたのだが、ベラルーシの友人の言う事が正しいことが証明されてしまった。村も家も、何も特別なことはないということが。だんだん許可を得て合法的に訪れる意味があるのか不安になってきた。

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赤い森

原子力発電所の事故由来の放射性物質を探した時、赤い森については既に書いたが、要約するとこういうことだ。大事故の結果原子炉から放射性物質が大気中に放出され風に乗ってヨーロッパの広範囲に撒き散らされた。多くは原子炉近辺に降下して何万本という木々を汚染したがその大多数は原子力発電所に隣接していた。針葉樹は全滅しその針のような葉は赤く変色し赤い森と呼ばれるようになった。事故後間もなくこれらの木々を伐採し埋めることが決まった。放置しておくと火災や森のそばを行き交う車両によって放射性物質を再び撒き散らす危険があるからだ。伐採して埋めてしまえば空間線量を減らすこともできる。現在の線量は毎時20-30μSvだ。

事故後30年ほども経つにもかかわらず、赤い森は未だに最も高線量の地域の一つだ。前回ここに来た時は毎時100mSvという高線量の物体をいくつも見つけた。多分4号機の黒鉛の破片だろう。

今回は汚染された木々が埋められた場所を調べる。埋められたところを見つけるのはたやすいことだ。茶色の小高く盛り上がった部分が衛星写真ではっきりと見てとれる。

埋蔵場所に近づくにつれ、空間線量は100 μSvぐらいまで上がる。雨水が盛り上がった土から放射性物質とともに流れて溜まっているところでは最高200 μSvに達した。

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汚染された木が埋められているのはこんなところ

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右のほうに汚染水がたまっているのが見える

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干上がった水溜りの跡

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地面の線量

赤い森で保存状態のいい物の残っている建物を見つけた。

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ソビエト連邦60周年 撮影: Ronnie Bassbär

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ランプとレーニンの肖像の演壇

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ポスター

KRUG

DUGAのあるチェルノブイリ2の軍事施設は何度も訪れたことがあるが、今回はそれと密接な関わりのある2カ所に行く。行くには植物に覆われて見えなくなった道路をオフロード車で行くか、歩いて行くしかない。

最初の場所はDUGAレーダーの付属施設でKRUGとして知られている。12メートルのアンテナが240あり直径300メートルの二重の円の形に並べられている。中心には1階建てのコントロールセンターがありその屋根にメインのアンテナがある。建物にはここが何の施設なのか分かるような機器は何も残っていないのだが、超水平線レーダーの機能を最大限に利用するための施設だろうと考えられている。ここの機器の性能は抜群で地球を2周回ったシグナルも感知できたということだ。

行ってみると、はじめの輪にあった120のアンテナはすでに解体されかつて設置されていたコンクリートの基礎の傍に横たわっていた。スクラップに切り取られたものもある。外側の輪を作っている120のアンテナのほとんどと反射器として設置されたネットはまだよく保存されている。

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年を経て今ではアンテナは木々の中に隠されていて全体を見るのは難しいが上空に行けば見ることができる。とくに落葉する秋がベストだ。

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ヘリコプターから見たKRUG 2012年秋

対航空機防御システム

チェルノブイリ2近辺の二つ目の場所はDUGAレーダーの対航空機防御システムとして作られた防御ミサイル拠点だ。ヴォールホフS-75Mミサイルが装置された6基のSM-90ロケット発射台が中央のミサイル格納庫の周りに据えられていたが発射台は防御壁に囲まれ隠されていた。

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ミサイル格納庫

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格納庫の内部

この強化コンクリートの建物の内部にはミサイルシステムの各部に対応する部屋があった。司令室、標的とミサイルの位置計算用のグリッドのある部屋、管制室、発電機を備えた部屋。全体は土で覆われ頂点には敵機の探知やミサイルの追跡をする航空機察知システムのあるアンテナ室があり ミサイルを標的に導く送信機があった。モデルによって違うが、10メートルを超えるミサイルは30キロから50キロのレンジを持ち、重量は2.5トン近くで通常または核弾頭を取り付けることができた。(ここでは通常兵器しか使われていなかった)

標的を撃ち落とす確率は60%と言われるがミサイルの種類、ミサイルの自動追尾装置や応答装置を誤誘導する手段などの敵の技術的対策をはじめとする多数の要因によって変化する。

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ロケット発射台のあったところの一つ

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ミサイル組立、分解、補強、移送、保管用のワゴン。ミサイル一基を運ぶのに6人を要した

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SM-90ロケット発射台の建設と機能を説明したポスター

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カフェテリアの中の壁画

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ポスター

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高線量を示すキャタピラー 220μSv/h

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Zil-130型トラックの残骸

S-75ミサイルの記録写真

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敵機に命中しなかったS-75ミサイルの爆破の様子

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輸送車の上のミサイル

超水平線レーダーのそばに来たついでにその高さを測ってみようと思う。高さについていろいろな説があるのだ。このためにアンテナの支柱と同じ高さの反射用ネットの取り付けられているポールに登った。てっぺんまで入れて156メートルを計測した。

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ここを登る 撮影: Ronnie Bassbär

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登頂中 撮影: Ronnie Bassbär

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最高点 撮影: Ronnie Bassbär

遊び場の木の塀に面白い絵が描かれているのを見つけた。

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FILM

『ゾーンに一人』の第2部を撮り終えたが、この間もカメラは手放さず初めて訪れたところはすべてフィルムに収めた。しかし写真レポートでは伝えきれない雰囲気もあるので旅の様子をフィルムにまとめた。2分間のサンプル映像がこちら。

17分の完全バージョンは『ゾーンに一人2』を購入してくださった方にアクセス可能です。下にコード(購入の際のオーダーナンバー)をタイプしてください。このコードをなくさないように。そして他の人に渡さないようにお願いします。他にも特典を用意しています。

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お約束したとおり『ゾーンに一人2』をご購入の方にはチェルノブイリからの今後のアップデートが自由にアクセスできます。これは皆さんの信頼とサポートへの感謝の気持ちです。

『ゾーンに一人2』または『ゾーンに一人』をまだお持ちでない方はこちらからご購入いただけます。ご購入の際アップデートにアクセスできるコードがただちに使用可能です。今後のアップデートすべてにこのコードでアクセスできます。皆さんにゾーンの現状を知っていただきたいのです。

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次回の予告

このレポートの初めに書いた通り、ゾーンは文字通り失われつつある。消滅の速度は早まるばかりだ。だから今年またプロ用のカメラを携えてこの重要な地を撮影しに戻る。

今使っているカメラは感度も解像度も低く、ヘルメットに装着しているため常に動くし、フォーカスを的確に変化させにくいワイドレンズなので、この場所を クオリティの高いイメージに存分に撮るのは難しい。ヘルメットに装着した小型カメラはどこかに登る時とか新しい場所や物を探す時など両手の使えない動作をしながらのダイナミックなシーンには最適だ。ユニークなイメージの方が写真の質より重要な時には。しかしゾーンの撮影には写真の質がものを言う。

だからプロ用カメラとレンズ、三脚を持って戻り、4Kフォーマットで記録する。可能な限りの解像度、ディテール、色でゾーンのイメージを最高の状態で残すために。これまでより優れた鮮明度、色深度、被写界深度で。

ゾーンのあらゆるところを訪れた今、次に戻って写真に収めたいところは分かっている。クラスネの放棄された正教会、原子力発電所のブロック4、プリピャチの数カ所とDUGA、など。年老いていく帰還民もインタビューしたい。

なぜこんなことをするのか。『ゾーンに一人』がすぐに4Kフォーマットになるわけではない。4K技術、特に高画質の4Kテレビが一般に普及するまで、 撮影した材料は保管しておくことになる。しかし材料を集めるのは今が勝負だ。4Kが普及するころにはゾーンは消えているかもしれない。

AP

追伸

ご心配なく。よく探せば、プリピャチでもまだ面白いものを見つけることができる。私が最近発見したのはこちら。

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絵ハガキ:偉大なる愛国戦争

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絵ハガキ:10月革命万歳

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左:修了証書   右:招待状

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